離職率を低下させることは、企業経営にとって非常に重要。採用コストをかけ、優秀な人材を育てても、社員の引き抜きをされてしまってはそれまでに費やした支出は無に帰してしまいます。退職し、転職する社員がいるのは仕方ありませんが、辞めてから引き抜きをするのは、違法となる可能性があります。
労働者には、憲法において職業選択の自由が認められます。そのため、どの会社で働くかは労働者の自由であり、退職の自由が保証されています。しかし、社員の引き抜きは、悪質性の高い場合には違法となります。会社に悪意を持つ退職者が、他の社員に強く働きかけ、一斉に引き抜く行為に対しては、損害賠償を請求できるケースもあります。
今回は、社員の引き抜き行為の違法性と、損害賠償請求について、企業法務に強い弁護士が解説します。
- 社員の引き抜きは、悪質なケースでは違法となり、損害賠償を請求できる
- 社員の引き抜きの違法性は、引き抜き対象者、引き抜きの程度、行為の態様などが基準
- 会社へのダメージが少ない場合には、退職の自由、転職の自由が優先されるのが原則
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転職が自由でも、社員の引き抜きは違法
退職した社員(もしくは退職を予定している社員)が、仲の良かった他の社員に転職を勧誘し、引き抜きをすることがあります。特に、退職後に独立する社員にとって、前職のつながりは、採用コストが不要で、気心も知れており、かつ、同業の経験も豊富に有しているという点で、まさに頼りたい存在となるでしょう。
退職した社員が、転職後に、転職先で一緒に働こうと勧誘し、前職の社員を引き抜くこともあります。これらの行為は、企業にとっては非常に損失の大きいでしょうが、必ず違法になるとは限りません。
会社が費用をかけて教育した社員を引き抜かれるのは、採用コスト、教育コスト双方の面で大きな損失ですが、憲法に認められた職業選択の自由と、そこから生じる転職の自由によって、全ての行為を違法と言い切れるわけではないからです。
とはいえ、自分が転職するのは自由でも、他人を転職させることまで全て自由なわけではありません。権利の保証は、他人の権利を侵害してはならず、会社にとっての損失が大きすぎるときや、悪意のあるときには、社員の引き抜きは違法と評価できる可能性があるからです。
損害賠償請求すべき違法な引き抜きとは?
会社に対するダメージの非常に大きい、退職をした元社員からの引き抜きですが、違法となるかどうかは、退職前に行われたか、それとも退職後かによっても異なります。
引き抜き行為が会社に与えるダメージを放置するのはお勧めできず、速やかな対応を要します。
退職前の引き抜きは違法なのが原則
退職前にされた引き抜き行為は、原則として違法です。労働者は、雇用される間、会社にとって不利益な行為をしてはならない義務(誠実義務)を負い、その内容として、競業避止義務が含まれるからです。
したがって、退職前にした行為によって引き抜きされたら、それにより会社に生じた損害について賠償を請求できます(退職予定者の違法行為には特に注意を要します)。損害としては、引き抜かれた社員の採用、教育にかかったコストや、代替要員を探すのに要した募集コストといった費用が考えられます。
退職後の引き抜きも違法となることがある
これに対して、退職後の引き抜き行為は、全て違法というわけではありません。労働契約が既に終了しているため、退職後は、誠実義務や競業避止義務を負わないためです。
しかし、これらの義務を負わないからといってどのような行為でも許されるわけではありません。非常識で、悪質かつ過度な引き抜き行為は、やはり違法となり、損害賠償請求の対象となります。社会的に不相当な方法を利用した引き抜きは、不法行為(民法709条)に該当するからです。
退職する社員の競業避止義務について、次に解説します。
退職後の引き抜きの違法性
以上の通り、退職前の引き抜きは原則として違法であり、退職後の引き抜きは、社会的に不相当と評価されるもののみが違法だと解説しました。
違法な引き抜きを止めるには、損害賠償請求による責任追及が有効ですが、どのような場合に違法となるか、その判断基準を知っておく必要があります。そこで、退職後の引き抜きが違法となる場合について、その考慮要素を解説します。
引き抜きされた社員の地位・役職
まず、退職後の引き抜きが違法かどうか判断するにあたっては、引き抜かれた社員の、会社における地位、役職が重要な要素となります。
というのも、より上位の役職であり、会社にとって重要な人物を引き抜きする方が、会社に与えるダメージが大きく、違法性が強い引き抜きだといえるからです。あえて、会社にとって必要不可欠な社員を引き抜き、決定的なダメージを与える引き抜きは違法であり、損害賠償を請求する必要性が高いといえます。
引き抜きされた人数
退職後の引き抜きの違法性を検討する際に、引き抜かれた人数もまた、違法性に大きな影響を与えます。
というのも、「会社の大半の従業員を引き抜いた」といったケースなど、引き抜かれた人数が多いほど事業継続が困難となり、会社に与える支障が大きく、違法性が強いといえるからです。
企業経営への影響度合い
以上のように、企業経営への影響の明らかな「重要人物の引き抜き」、「多人数の引き抜き」以外にも、影響度合いが大きいほど、違法となる可能性が高まります。
例えば、会社の多忙時期を狙った、会社に不利な時期の引き抜き行為などが典型例。会社経営に大きな支障を及ぼす引き抜きに対しては、損害賠償請求をすべきといえるでしょう。
勧誘方法の違法性
勧誘方法が、単に社員の転職を誘う、といった程度ならば、社会的に不相当とまではいえず、その方法の不適切さだけで違法と評価されることはありません。
しかし、退職した元社員による勧誘には、次のように勧誘方法自体が違法だといえるものもあります。
- 会社への誹謗中傷による引き抜き
- 会社のネガティブな情報を伝えることで、転職を促す引き抜き
- 転職の対価として、多額の金銭を与える引き抜き
- 社員でなければ知り得ない秘密情報を利用して転職を促す引き抜き
これらの行為は、転職の勧誘行為自体が違法性が強く、会社として、損害賠償請求をすべきケースだといえます。
退職した元社員による勧誘、引き抜き行為が、不正な目的がある場合、特に違法性が強く、損害賠償請求をすべきケースであるといえます。
特に、不正競争防止法では、「不正の競業その他の不正の利益を得る目的」で行う営業秘密の開示、漏洩行為について、「10年以下の懲役または1000万円以下の罰金」という刑事罰を科して、厳しく禁止しています。
退職後の引き抜きが違法でないケース
以上の解説の通り、企業経営に重大な支障を生じる引き抜きは、たとえ退職後の元社員がしたのであっても違法となります。
しかし、退職後の引き抜きの全てが違法なわけではなく、なかには違法でないケースもあります。冒頭で解説の通り、職業選択の自由があるために、優秀な人材の奪い合いは、市場原理に任される部分も多くあるからです。
違法にならない引き抜きは、例えば次のケースです。
- 引き抜きされた社員の自由な意思で、転職を決定したケース
- 社内のハラスメントに嫌気がさして退職したケース
- 退職後の社員に、転職するよう誘いをかけたケース
- 働きかけをされたが、元から会社に強い不満があったケース
したがって、自由な意思で行う退職、転職は、いかに会社に与える支障が大きい場合であっても、止めることはできません。当然ながら、違法ではないわけなので、損害賠償請求もできません。
このようなリスクを回避するには、引き抜き自体を違法とするために競業避止義務を課しておくのが対策となります。特に退職してほしくない重要な社員には、競業避止義務の誓約書を書いてもらう努力をする必要があります。
まとめ
今回は、社員の引き抜きの違法性と、損害賠償請求できるかについて解説しました。
退職した元社員は、在職中の労働トラブルなどにより会社に敵意を持つことがあります。また、退職後に独立する場合には、人材獲得が課題となっていることでしょう。他の社員に執拗に転職を勧誘するなど、違法な引き抜き行為があるなら、すぐにストップさせなければなりません。
企業経営に支障の大きい、違法な引き抜きを見つけたら、損害賠償請求をするなど、強い態度で止めなければ、甚大な損失が生じてしまいます。社員の転職に悩むとき、その原因は労務管理の不備にあるケースもあります。このとき、人事労務について弁護士に相談するのが有益です。
- 社員の引き抜きは、悪質なケースでは違法となり、損害賠償を請求できる
- 社員の引き抜きの違法性は、引き抜き対象者、引き抜きの程度、行為の態様などが基準
- 会社へのダメージが少ない場合には、退職の自由、転職の自由が優先されるのが原則
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