職務や勤務地を変更することを「配転」といい、その中で、同一の事業所内での職務変更を「配置転換」、勤務地の変更を「転勤」と呼びます。
転勤は、勤務先が遠方になることも多く、社員の負担も大きいので、育児や介護といった家庭の事情を抱える社員にとっては、深刻な問題です。転勤命令に対し、社員が育児や介護を理由に拒否すると、労使トラブルに発展するケースも見られます。
転勤命令は、労働契約に基づく業務命令権の一部として認められます。そのため、正当な理由に基づく命令なら、社員は従う義務があります。ただ、権利といえど無制限に認められるわけではなく、転勤による社員の不利益の程度を踏まえて、一定の制限があります。特に、育児や介護といった事情がある場合、会社には配慮する義務が課されます。
今回は、育児や介護といった家庭の事情を有する社員が、転勤命令を拒否する場合に、会社がすべき配慮義務の内容について、企業法務に強い弁護士が解説します。
- 不利益の著しい転勤命令は無効の可能性があり、育児・介護はその理由となる
- 転勤命令を有効にするには、育児・介護といった家庭の事情に配慮が必要
- 育児・介護を理由とする拒否は必ず認められるわけではない
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転勤命令の有効性について
まず、転勤命令の有効性について、基本的なルールを解説します。
以下のルールは、最高裁判例(東亜ペイント事件:最高裁昭和61年7月14日判決)で示され、その後も多くの裁判例で踏襲されています。同裁判例は、2歳の子の育児と、71歳の母親の介護を抱える社員が転勤を拒否した事案で、次のような判断基準を示しました。
使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することの許されないことは言うまでもないところ、当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の損する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである
東亜ペイント事件(最高裁昭和61年7月14日判決)
この裁判例をまとめると、次の通りです。
- 転勤命令には、労働契約上の根拠が必要
適法に転勤を命じるには、就業規則や雇用契約書に、命令権についての定めがあることが必要となります。 - 権利といえど無制限に行使できるわけではない
権利の定めがあっても、権利濫用による一定の制限を受けます。つまり、労使間の公平の見地から、行き過ぎた権利行使は許されません。労働者の不利益が過大な転勤命令は、制限される可能性があります。 - 業務上の必要性がなければ無効
転勤命令に業務上の必要性がないときは、権利濫用として無効となります。 - 特段の事情があると無効
転勤命令に特段の事情があるときも、その命令は無効となります。「特段の事情」とは、裁判例により「不当な動機・目的をもってなされたものであるとき」(会社側の事情)と「労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき」(労働者側の事情)のことを指します。
育児や介護といった家庭の事情は、転勤によって従前通り継続することができないという不利益が生じます。そのため、その不利益が「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」かどうかが、転勤命令の有効性を判断する際の考慮要素となります。
育児・介護中の社員に、会社がすべき配慮義務
次に、会社がどのような配慮をすべきかについて解説します。
転勤命令権が無制約ではないので、企業としては、裁判例の基準に従い、有効性を認められるような努力をすべきです。そのためには、育児や介護といった家庭の事情を抱える社員に転勤を命じる際は、配慮義務を果たすべきです。
会社が果たすべき配慮義務は、育児・介護休業法などの法令のルールのほか、転勤命令を有効と判断した裁判例が参考になります。
育児・介護休業法
育児・介護休業法(正式名称:育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律)は、育児や介護といった事情を抱える社員が、仕事と家庭を両立して円滑に就労できるよう、会社がすべき配慮を定めた法律です。育児・介護休業法には、転勤についての配慮を求める規定があります(育児・介護休業法26条)。
育児・介護休業法26条
事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない。
育児・介護休業法(e-Gov法令検索)
育児・介護休業法に関する指針・通達
転勤時の配慮を検討するとき、育児・介護休業法のルールを具体化する、厚生労働省の指針や通達も参考になります。厚生労働省の指針(平成21年厚生労働省告示509号)では、
- 社員自身の意向を尊重すべきこと
- 育児・介護の代替手段があるか確認すべきこと
などが、配慮の内容として指摘されています。これらの配慮をする前提として、会社は、社員の抱える転勤の支障となる事情について把握しておくことが必要となります。
配慮することの内容としては、例えば、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況を把握すること、労働者本人の意向をしんしゃくすること、配置の変更で就業の場所の変更を伴うものした場合の子の養育又は家族の介護の代替手段の有無の確認を行うこと等があること
平成21年厚生労働省告示509号
また、厚生労働省の通達「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律の施行について」(平成28年8月2日職発0802第1号・雇児発0802第3号)は、次の6つの配慮の内容を示しました。
- 住居の移転をともなう就業場所の変更では、育児・介護が困難となる労働者に対して、その状況についての配慮を事業主に義務付けること
- 同一事業所内で別の業務に配置換えをする場合は含まれないこと
- 実子だけでなく養子(普通養子・特別養子)も含むこと
- 転勤後の通勤の負担、配偶者などの家族の状況、転勤先近辺の育児サービスの状況などの事情を総合的に考慮すること
- 配慮が求められるが、転勤そのものの中止や、育児・介護の負担を軽減する積極的な措置まで義務付けるものではないこと
- 配慮の内容として、状況把握、労働者本人の意向の斟酌、育児・介護の代替手段の確認などが例示されていること
育児・介護中の社員の転勤に関する裁判例
育児・介護休業法と指針・通達は、あくまで一般論です。これに対し、個別のケースでどのような配慮をすべきかは、実際に育児・介護中の社員の転勤について判断した裁判例が参考になります。
ゆうちょ銀行事件(静岡地裁平成26年12月12日判決)
浜松店から隣接する静岡店への転勤命令 →有効
- 妻が専業主婦で育児は困難でない
- 隣接する支店への転勤
- 新幹線通勤を認めた
NTT東日本(首都圏配転)事件(東京地裁平成19年3月29日判決)
北海道、宮城県、山形県、群馬県、新潟県から首都圏への転勤命令 →有効
- 会社の構造改革
- 担当職務がなくなる
ネスレ日本事件(大阪高裁平成18年4月14日判決)
姫路工場(兵庫県)から霞ケ浦工場(茨城県)への転勤命令 →無効
- 老齢で徘徊辟ある要介護者の母
- 非定型精神病にり患する妻
- 代替策(工場内配転・希望退職)を検討すべき
明治図書出版事件(東京地裁平成14年12月27日判決)
東京本社から大阪支社への転勤命令 →無効
- 東京本社に10年以上勤務
- 夫婦共働き
- 重症アトピー性皮膚炎の子2名
育児・介護中の社員に転勤を命じるときの注意点
以上の通り、育児・介護中の社員への転勤命令は、無効だと判断されやすいです。
企業側としては、センシティブな転勤命令を敢行するなら、配慮すべき点が多くあります。会社の都合で、育児・介護中の社員だったとしても、転勤を命令せざるを得ない場面はありますが、少しでもトラブルを回避できるよう、以下の注意点を守ってください。
転勤命令権を就業規則に定める
社員に転勤を命じるには、会社にその権限が認められている必要があります。
そのため、就業規則に転勤命令権に関する規定を明記することが重要です。労働契約を締結した時点で転勤命令権が当然に認められるという見解もありますが、実務上は、あらためて就業規則に定めることで社員にわかりやすく理解させ、予測可能性を高めるべきです
就業規則や雇用契約書に「転勤の可能性がある」ことを明確にし、事前に周知することで、無用なトラブルを回避しやすくなります。また、転勤の対象者、選定基準、手当などの金銭的な条件も規定しておくのが望ましいです。
なお、就業規則は会社側のルールを定めるものであるため、社員への配慮内容まで記載する必要は必ずしもありません。
転勤対象者の家庭の状況を把握する
転勤を命じる際に、対象社員の家庭の状況を正確に把握するのが大切なポイントです。正確な情報がなければ、配慮の要否や内容について判断できないからです。
「家庭の事情を尋ねることで、転勤を拒否する口実を与えるのではないか」という懸念もありますが、事情を全く無視して転勤を命じれば、後に争いとなる可能性が高いです。社員の言い分を全て受け入れる義務があるわけではないものの、事情を把握して判断を下す姿勢が重要です。
転勤対象者に確認すべき主な事項として、次のものが挙げられます。
- 現在の居住地と通勤手段
- 住居形態(賃貸・持ち家)、家賃負担の有無
- 配偶者や扶養家族の有無、共働きか専業か
- 同居家族の構成(続柄、人数、年齢)
- 子の就学状況、健康状態
- 本人の健康状態、通院の有無
- 要介護家族の有無や介護の程度
- その他、転勤に支障となる家庭事情
無期雇用の正社員など、定期的な転勤を予定している職種の場合、年に1回など、定期的に情報を申告させ、キャリアプランの希望と合わせて管理するのがお勧めです。
転勤の負担軽減が可能か検討する
家庭事情を考慮し、やむを得ず転勤を命じる場合でも、転勤に伴う負担を軽減する措置が取れないか、事前に検討を行う必要があります。
企業側の検討は、以下の順序で進めてください。
- そもそも転勤自体を回避できないか?
- 業務上の必要性が高い場合、他の人員で代替できないか?
- より不利益の少ない勤務地への異動に変更できないか?
裁判例や行政の指針・通達も、会社は個々の事情を踏まえ、社員への負担軽減や転勤回避の方策を誠実に検討することが求められています。必要に応じて、社員本人との協議のうえで「特別な配慮」を提案すべき場面もあるでしょう。
例えば、人員配置上、転勤が必須の場合でも、遠方の事業所への転勤ではなく、より近隣の支店に配属し、他の社員との配置換え(いわゆる玉突き人事)で調整を図る工夫も有効です。
転勤命令を書面で交付する
最終的に転勤を命じる際は、必ず書面で通知してください。
転勤に先立って十分な検討と配慮をしていれば、裁判例に照らしても有効性が認められる可能性が高まります。この場合、社員にとっても単身赴任や住環境の変化など、一定の不利益を、合理的な範囲で受け入れることが求められます。
仮に、育児や介護を理由に社員から強い反発があったとしても、業務上の必要性が高く、適切な配慮を尽くしていれば、経営判断として転勤命令を進めることは許されます。
ただし、社員の不満を押し切って転勤を命じた場合、後に労働審判や訴訟など法的手続きに発展するおそれがあります。その際に備えて、転勤命令の内容やその理由を記録として残すためにも、書面の交付は必須です。
書面は「転勤命令書」や「辞令」などの形式とし、転勤を命じる理由やその必要性について、できるだけ具体的に記載することが重要です。
育児・介護を理由に転勤命令を拒否されたら?
最後に、ここまでご紹介した配慮を尽くしても、社員が育児や介護を理由に転勤命令を拒否する場合に、会社としてどのように対応すべきかを解説します。この対応は、実際に労使紛争に発展したケースにおいても参考となる重要なポイントです。
まず、転勤命令を拒否されたら、その理由を明確に書面で提出するよう求めましょう。加えて、その理由を裏付ける客観的な資料の提出を求め、事情を正確に把握するよう努めます。書面提出を求めることで、社員に対して会社として真摯に対応している姿勢を示すと共に、感情的な拒否を抑え、建設的な対話を促進する効果も期待できます。
例えば、社員に提出を求めるべき必要資料は、次のものがあります。
【育児を理由とする転勤拒否の場合】
- 子供の通園・通学先が確認できる資料
保育園・学校の在籍証明書など - 子供の健康状態を示す資料
診断書、カルテ、通院記録、医療機関の領収書など - 配偶者または扶養家族の存在を証明する資料
戸籍謄本、住民票、配偶者の所得証明書など
【介護を理由とする転勤拒否の場合】
- 要介護認定の事実を証明する資料
介護保険被保険者証、認定結果通知書など - 要介護者の通院・診療に関する資料
診断書、通院記録、医療費の領収書など - 他に介護を担う者がいないことを証明する資料
家族構成がわかる戸籍謄本、兄弟姉妹の居住実態が確認できる資料など
正当な業務命令として転勤を命じたのに従わない社員には、解雇も辞さない対応が必要です。というのも、有効な転勤を拒否することを許せば、企業秩序を維持する大きな支障となるからです。
ただし、解雇は労働者に不利益が大きく、正当な理由がないと無効になってしまいます。社員に対して転勤の必要性を説明し、粘り強く説得するようにしてください。また、解雇を決断する前には、必ず退職勧奨をし、不当解雇のリスクを減らさなければなりません。
まとめ

今回は、育児や介護といった家庭の事情と、転勤の関係を解説しました。
家庭の事情を抱える社員に対して、やむを得ず転勤を命じなければならない場合、特に慎重になるべきです。転勤命令が違法と評価されないためにも、関連する法律と裁判例を正しく理解し、社員の個別事情に十分配慮することが不可欠です。
法律や裁判例で有効性を認められる可能性があっても、できる限りの配慮を尽くしてから命じるのが望ましいです。特に、育児や介護といった事情を抱える社員に、過度な不利益を与えないよう、他に取るべき手段がないか、転勤を回避できる代替案がないかを検討してください。
終身雇用の崩壊によって転職が身近なものとなる中、不必要な転勤を強行する企業からは、優秀な人材が離職していきます。
社員の生活に大きな影響を及ぼす転勤命令は、後の紛争も見据えた事前準備が不可欠です。命令を出す前に、その有効性について弁護士の助言を受けるのがお勧めです。
- 不利益の著しい転勤命令は無効の可能性があり、育児・介護はその理由となる
- 転勤命令を有効にするには、育児・介護といった家庭の事情に配慮が必要
- 育児・介護を理由とする拒否は必ず認められるわけではない
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