社員を職場の近くに済ませれば、会社で緊急事態があったときに、すぐ「休日出勤命令」や「残業命令」をして対応にあたらせることができ、便利です。
逆に、従業員の自宅が、会社からあまりに離れている場合には、通勤時間が長くなることによって時間をたくさん拘束され、長時間労働、メンタルヘルス、過労死などの問題にもつながりかねません。
会社としては、社員には会社の近くに住んでほしいわけですが、社員側としては、「あまりに会社から近いと気が休まらない。」、「仕事とプライベートは分けたい。」という要望もあります。
そこで、会社の「できるだけ近くに住んでほしい。」という要望を叶えるため、近くに住む社員に対して、メリットとして「近距離手当」を支払うことでモチベーションを上げることが考えられます。
今回は、社員に職場近くに住んでもらうための「近距離手当」を有効活用するポイントについて、企業の労働問題を得意とする弁護士が解説します。
1. 近距離手当とは?
近距離手当とは、「職住近接」をすすめたい会社が、社員に対して、会社から一定の距離以内に住んだ場合には、一定の支払をする(もしくは家賃の負担をする。)という内容の手当をいいます。
例えば、「会社から3km以内、もしくは、3駅以内に住んだ場合には、3万円の家賃補助を出す。」といったものが「近距離手当」の典型です。
通勤手当はほとんどの会社にあると思いますが、この「近距離手当」を導入している会社は、それほど多くないのではないでしょうか。
逆に、通勤手当は、会社から近すぎると、「歩いてこれる。」という理由で、支給されない会社もあります。
近距離手当を導入している会社における、近距離手当の定め方には、次のようなバリエーションの例があります。
- 就業場所から半径○○km以内に居住した場合に、月額○○万円の近距離手当を支給するケース
- 本社の最寄り駅から○○駅以内に住む社員に対して、月額○○万円の近距離手当を支給するケース
- 自発的に職場から近距離に引っ越した場合に、引っ越し費用の○○万円までを補助するケース
特に、近距離手当を補助してもらいたいがために職場近くに引っ越そうと考えたとしても、時期によっては、引っ越し業者がなかなか見つからず、引っ越し費用が多額になってしまうこともあります。
労働者による不正な需給を避けるために、近距離手当が支払われる上限や回数をもうけるケースもあります。
2. 近距離手当を導入する、会社側のメリット
近距離手当を導入する場合、会社側にはどのようなメリットがあるかについて、弁護士がまとめました。
ちなみに、労働者にとっては、会社の近くに住むことによって移動時間が少なく、満員電車の負担もなく、仕事に集中できるというメリットがある一方、「会社の近くには住みたくない。」という人もいるでしょう。
2.1. 労働時間以外の時間拘束を減らす
労働時間が長くなりすぎる場合、長時間労働、過労死、過労自殺、メンタルヘルスといった、社会的に問題となっている労働トラブルの原因となります。また、残業代の負担も大きくなります。
とはいえ、労働時間の負担がそれなりにあることを前提とすれば、少しでも、労働時間以外の時間拘束を減らすことが、従業員の健康対策としては重要になります。
遠距離から電車で通勤することは、社員にとって非常に大きな負担となりますが、「会社の近くは家賃が高い。」ということも多いものです。そこで、この悩みを「近距離手当」で解消できます。
2.2. 通勤の負担を減らす
時間や費用の負担だけでなく、そもそも長時間の通勤は、労働者の身体にとって大きな負担となります。
特に、女性の場合、満員電車で立ちっぱなしのまま1時間、2時間も揺られてくるということの負担が、非常に重いことは想像に難くありません。
通勤の負担が減ることによって、長時間通勤で労働者が疲弊することがなくなれば、会社の業務に力を存分に発揮することができるようになります。
2.3. 通勤手当を減少させる
経営者としては、「通勤手当」はできるだけ少なくしたいというのが本音でしょう。同じ質、量の仕事をする社員であれば、できるだけ通勤手当が安い方が助かります。
そこで、どうせ遠方に住んで通勤手当をたくさん出さなければいけないくらいだったら、近くに住んでもらってその分通勤手当を減らし、「近距離手当」で社員のモチベーションアップにつなげましょう。
通勤手当を低額に抑えられることによって、福利厚生を充実させたり、賃金を増額してあげたりといった、より従業員のためになる配慮を会社が行うことができるようになります。
2.4. 緊急時の対応をしやすくする
社員が会社の近くに住んでくれることは、緊急時の対応をしやすくなるという大きなメリットがあります。
残業命令や休日出勤命令も、業務上必要であれば認められますが、緊急時の短時間の対応のために、長時間の通勤をさせることは、適切とはいえないからです。
とはいえ、会社の近くに住んでいる一部の社員にだけしわ寄せがくることは避けなければなりませんから、不公平感を解決するのが「近距離手当」です。
2.5. 仲間意識を高め、離職率を低減させる
社員が皆会社の近くに住んでいると、社員の間の仲間意識が高まります。さらには、「自分の会社だ。」という帰属意識も高まります。
このことは、業務効率を飛躍的に上昇させると共に、会社への貢献も向上します。業務効率の上昇により貢献した社員に、多くの「近距離手当」を与えることは当然でしょう。
3. 居住場所の強制はできない
ここまでお読みいただければ、社員を会社の近くに住ませることには、会社として、経営者としてメリットが数多くあることがご理解いただけたことでしょう。
とはいえ、会社は、労働者に対して、会社の近くに住むことを強要することはできません。当然ながら、住所、居住地を指定することもできません。
労働者には、憲法上の権利として「居住・移転の自由」というものが保証されているからです。
したがって、会社に限らず、非営利団体やその他の法人、団体、個人事業主であっても、居住する場所を、仕事を優先するように指定することはできません。引越命令も同様です。
そこで、労働者の側から協力的に引っ越してくれるよう、「動機付け」として、「近距離手当」を導入するのです。
4. 会社に法的支払義務はない
逆に言うと、会社にも、「近距離手当」を支払わなければならないという義務はありません。
社員が自発的に、やる気になって、会社の近くに住んでくれるというのであれば、あえて「近距離手当」を支払わなくてもよいわけです。この点が、賃金や残業代とは異なります。
とはいえ、やる気のある社員だけが会社の近くに住み、同じ給与をもらいながら他の人よりいっぱい働くというのでは、「不公平感」が生まれます。
この不公平感は、残業代を適切に支払うことである程度は解消できますが、いろいろな雑務もこなしたり無理を言ったりしていた場合は、残業代だけでは解消しきれないかもしれません。
5. 「近距離手当」で残業代は増える?減る?
会社の経営者にとって、深刻な金銭負担となるのが、「残業代」ではないでしょうか。
今回解説している「近距離手当」を導入することは、この「残業代」を、増やす方向にも、減らす方向にもはたらく可能性があります。
そこで、「近距離手当」と「残業代」の関係をきちんと理解し、「近距離手当」のメリットを最大限活用していきましょう。
5.1. 残業代の基礎単価に含まれる
残業代を計算するときに、加えなくてもよい賃金(「除外賃金」といいます。)は、労働法施行規則で、次のように決められており、これ以外は、すべて残業代の基礎に加える必要があります。
労働基準法施行規則第21条法第37条第5項の規定によつて、家族手当及び通勤手当のほか、次に掲げる賃金は、同条第1項及び第4項の割増賃金の基礎となる賃金には算入しない。
- 別居手当
- 子女教育手当
- 住宅手当
- 臨時に支払われた賃金
- 一箇月を超える期間ごとに支払われる賃金
「近距離手当」があたるとすれば、「住宅手当」か、「通勤手当」です。
しかし、「住宅手当」は、「住宅に要する費用に応じて」与える必要があるとされます。これに対し「近距離手当」は、会社から自宅が近い場合に払われるのであって、住宅費用に応じて支払うものではなく、「住宅手当」にはあたりません。
また、「通勤手当」も同様に、通勤費用に応じて与えるものであって、「近距離手当」のように、通勤費用にかかわらず支払うものは、「通勤手当」にもあたりません。
その結果、「近距離手当」が残業代の基礎単価に含まれることによって、一定程度残業代が増えるリスクがあります。
5.2. 早く帰るかどうかは指示次第
とはいえ、残業をさせるかどうかは、会社の指揮、命令次第です。
「近距離手当」を与える結果、通勤時間が少なくなり、社員は、より多くの時間を、負担なく、会社の業務に使うことができるようになります。
しかし、このことは「残業をするかどうか。」「早く帰るかどうか。」「休日出勤をするかどうか。」とは必ずしも関係ありません。
残業や休日出勤が不要であれば、会社が命令しなければよいからです。会社から近いことをいいことに、会社に無断で残業代を稼ごうという社員がいる場合には、「黙示の残業命令」と評価されないよう、厳しく注意しましょう。
6. まとめ
今回は、「会社の仕事のため、できるだけ会社の近くに住んでほしい。」という会社の、経営者の要望をかなえる「近距離手当」について、そのメリット、有効な活用方法のポイントを、弁護士が解説しました。
社内の労務管理、賃金などについて、お悩みの経営者の方は、企業の労働問題を得意とする弁護士との顧問契約を、ぜひご検討ください。