「転勤」は、日本の伝統的な雇用社会では、会社の自由な命令が、基本的には許されます。つまり、労働者は、会社から「転勤」を命令されれば従わざるを得ない、ということです。
しかし、「転勤命令」があるとそもそも働くことが難しいという人材がいます。例えば女性、高齢者などが典型です。
労働人口が減少するにしたがい、転勤できない人材も活用しなければ、企業の経営がうまくいきません。転勤できない人材には有能な人材も埋もれており、「転勤できない。」だけで人材活用をあきらめるのは、企業にとって損でしかありません。
この考え方から、「勤務地限定」「限定正社員」など、転勤できない人材の新しい活用法が生まれたわけです。
今回は、「転勤命令」が許されるかどうかを中心に、「転勤」に関する労務管理について、企業の労働問題を得意とする弁護士が解説します。
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転勤命令権が会社にある?
「転勤」について、会社が一方的に命令することができるか、「転勤命令権」が会社にあるか、という点を最初に考えなければいけません。
裁判例では、特に勤務地を限定していない限り、次のような事情があれば、転勤命令権がある、と判断しています。
- 転勤命令にしたがう旨の雇用契約書がある。
- 入社時に、転勤命令にしたがう旨の誓約書を記載している。
- 就業規則に転勤命令の根拠条文がある。
- 会社が全国展開をしており、支店への異動が予想できる。
ただ、逆に言えば、雇用契約書などで、特に勤務場所を限定しているケースでには、会社に転勤命令権はありません。
転勤命令が認められる典型例は、例えば次のようなケースです。
例
- 大企業に、新卒の正社員として採用した。
- 幹部候補生であることを明示して中途採用した。
- 全国各地に支店があることを明示して採用した。
ココに注意
転勤命令権が会社に認められるとしても、その「範囲」には注意が必要です。
入社後にあらたに設立した支店へ転勤させる場合など、入社時に予想できなかった転勤や、海外への転勤が許されるかは難しい問題です。
会社の業種、内容、規模などによって、ケースバイケースの判断が必要となってきます。
転勤命令は労使の利益調整
以上の検討から、「転勤命令権」が会社にあると判断できる場合であっても、どのような転勤命令も許されるわけではありません。
というのも、違法不当な転勤命令は、権利があるとしても、「権利濫用」として無効となるためです。
そこで、次に、企業のメリット、労働者のデメリットの調整が必要となります。
転勤命令の企業側のメリット
転勤命令を積極的におしすすめている会社も多いのではないでしょうか。
特に、全国に支店を持っている、規模の大きな大企業では、転勤が定期的に繰り返されています。
転勤命令を行うことは、企業にとって大きなメリットがあるわけです。転勤命令を行うことによる企業のメリットは、次のようなものです。
- 従業員の能力の向上
- スキルアップ
- 経験値の向上
- 人材交流
企業にとって、転勤命令には「必要性」があるということです。
ただ、必要性だけで会社がなにをやっても許されるわけではありません。次に説明するとおり、労働者の不利益との調整が必要となります。
転勤命令の労働者側のデメリット
「転勤命令権」があって、会社に「転勤の必要性」があるとしても、不当な転勤命令は許されません。
「不当な転勤命令」の例
- 問題社員を退職させることを目的とした転勤命令
- 嫌がらせ、パワハラを目的とした転勤命令
違法な転勤命令を強要すれば、従業員から損害賠償請求をされるおそれがあり、注意が必要です。
従業員が会社からの転勤命令で害される利益、すなわち、従業員側のデメリットとしては、例えば次のものがあります。
- 通勤時間が長くなる
- 家族との団らんの時間を奪われる
- 育児の時間を奪われる
- 親の介護の時間を奪われる
- 単身赴任をしなければならない
企業側の必要性、労働者側の利益との調整をふまえて、どのような場合に会社からの転勤命令が許されるのでしょうか?
転勤のルールは、基本的には「雇用契約」でさだめられています。
契約による転勤命令のルール
転勤命令のルールは、まずは企業と労働者との間の合意で約束されます。この労使間の「ルール」、「約束」を決めるのが「契約」です。
労使間の「契約」は、「雇用契約書」と「就業規則」で決められています。
就業規則上の転勤命令
「就業規則」は、複数の従業員に対して統一的に適用されるルールを定めるものです。
社員数が多く、全員に対して統一的に守らせるべきルールがある場合には、「就業規則」に記載するのがよいでしょう。
就業規則は、労働基準法に定められた一定の要件を守っているかぎり、労働契約の内容となります。
ただし、就業規則に記載してしまうと、労働者に不利益となる変更をすることが制限されるため、慎重な対応が必要です。
雇用契約上の転勤命令
複数の従業員に対する統一的なルールではなく、ある従業員に個別のルールを適用するときは、「雇用契約」によって個別に定めることが適切です。
全社的に「全国転勤」というルールがあるけれども、地方採用をした社員だけはその地方から転勤させない、といった場合、雇用契約書で個別に合意をしなければなりません。
転勤命令が許されない場合とは?
では、以上の労働者、会社の利害を調整した結果、転勤命令が権利濫用として許されない場合とは、どのようなケースでしょうか。
裁判例の中で有名な東亜ペイント事件(最高裁昭和61年7月14日判決)では、次の3つの要件をあげています。
- 業務上の必要性が存在しない場合
- 他の不当な動機、目的をもってなされた場合
- 労働者に対して通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる場合
転勤命令が許される場合の、3つの要件について、弁護士が順に解説していきます。
業務上の必要性
会社による一方的な転勤命令が許されるためには、「業務上の必要性」がなければなりません。「業務上の必要性」の程度がどれほどかによって、転勤命令が有効であるかの判断は大きくかわります。
「他の人ではまったく代替ができない。」という高度の必要性があれば、「転勤命令」は権利濫用とはなりにくいとされています。
「業務上の必要性」は、転勤についての企業側のメリットと同じと考えられます。したがって、「定期異動による人材交流」といった理由も、業務上の必要性の1つと認められます。
つまり、「業務上の必要性」があるかどうかの判断は、会社による、ある程度自由な判断が許されているというわけです。
なお、次のようなマイナス方向の「業務上の必要性」もあります。
- 協調性が欠如し、職場内でトラブルを起こした場合
- セクハラの被害者と加害者を分離する必要がある場合
- 上司との相性が悪い場合
不当な動機、目的
「業務上の必要性」がある転勤命令であっても、「不当な動機、目的」がある場合、違法無効となるおそれがあります。
転勤命令が許されない「不当な動機、目的」とは、転勤命令を行う、一般的なメリットではない部分です。いいかえると、「裏の目的」「本音」がある場合、といってもよいでしょう。
たとえば、裁判例などでは、次のような事情が、「不当な動機、目的」と判断されています。
「不当な動機・目的」の例
- 反組合的な意図がある場合
- 組合活動をやめさせ、組合本部から遠ざける目的がある場合
- 問題社員をやめさせたいという目的がある場合
「不当な動機、目的」は、転勤命令が無効となるだけでなく、それぞれ、不当労働行為や、不法行為として違法となり、損害賠償が認められるケースもあるため、注意が必要です。
通常甘受すべき程度を著しく超える不利益
「転勤命令」は会社と労働者の利害調整であると解説したとおり、労働者側に「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」があると、転勤命令は許されません。
つまり、「業務上の必要性」が高い場合(例えば、「他の人では代えることができない。」という場合)には、労働者の私生活に及ぼす影響もある程度は我慢すべきとされます。
逆に、「業務上の必要性」が低い場合(例えば、人材交流のための定期異動の場合)には、小さな不利益であっても転勤命令が無効と判断されるケースもあります。
裁判例でも、次のような不利益について、「甘受すべき」つまり、我慢すべきであるとした判断ケースがあります。
- 単身赴任
- 夫婦共稼ぎ
- 親の介護(他に介護することの可能な者がいるケース)
ココに注意
ただ、現在では、正社員であったとしても、後で詳しく説明するとおり、勤務地を限定する方法もあるわけですから、勤務地を限定しないということは、「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」であると評価されることは、より少なくなったと考えられます。
「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」があると考えるのであれば、勤務地を限定しておけばよいといえるからです。
勤務地を決めるときのポイント
最後に、「転勤命令をするかどうか。」を判断するにあたって、勤務地を決めているかどうか、その際の手続きを適切に行っているかが影響してきます。
そこで、入社して勤務地を決める際に気を付けておくべきポイントについて、弁護士が解説していきます。
入社時に勤務地を明示する
労働基準法において、「勤務場所」は重要な労働条件であることから、入社時に労働者に対して明示しなければいけないこととされています。
労働基準法15条1項
使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。
労働基準法施行規則5条3号
使用者が法15条1項前段の規定により労働者に対して明示しなければならない労働条件は、次に掲げるものとする。
3.就業の場所及び従事すべき業務に関する事項
さらに、この「勤務場所の明示」は、書面によって行わなければいけません。
したがって、口頭での契約だけで勤務場所を指定しては、そもそも労働基準法違反となってしまいます。
勤務地を特定する方法
入社時に書面で特定する勤務地は、具体的な部署名などを記載することが一般的です。
ちなみに、勤務地は具体的に詳細に特定する必要はなく、今後の予定が未定な場合には、次のような特定方法も許されるといわれています。
- 入社直後に研修をし、その適正に応じて配属場所を決める正社員の場合
→研修の際に配属される「本部」「人事部」などの特定とする。 - 配置転換、転勤などが予定されている正社員の場合
→入社直後の配属先のみを記載する。
ただし、入社直後の配属先だけを記載したことが、「転勤命令はない。」という誤解を生まないよう、就業規則における転勤ルールをしっかり説明しましょう。
勤務場所を限定するためには?
「転勤命令」とは逆に、むしろ「勤務地を限定する方法」もあります。
最近では、「限られた人材を有効に活用したい!」という需要から、正社員であっても勤務地を特定してはたらいてもらいやすくする会社もあります。
一部の社員について勤務地を限定する場合には、「雇用契約書」に、勤務地が特定されている旨を明記します。
また、一部の類型の社員を全員勤務地特定とする場合には、その類型の社員に適用される「就業規則」に記載しておくことでもよいです。
注意ポイント
ただ、勤務地を特定した場合であっても、転勤をさせずに解雇とすることが、必ずしも正当化されるわけではありませんので、注意が必要です。
勤務地を特定した場合に、その勤務地がなくなる場合など、従業員の解雇を検討するときは、転勤、異動の提案をしなければリスクがあるケースもあります。
「人事労務」は、弁護士にお任せください!
今回は、「会社が社員に対して転勤命令をすることができるか?」という観点から、転勤命令権と権利濫用について解説しました。
不当な転勤命令は、たとえ転勤命令権が会社にあったとしても、損害賠償請求などのトラブルの火種となりますので、慎重な対応が必要です。
特に、子どもの病気、親の介護など、労働者の不利益が大きくなる事情を抱えている従業員には配慮が必要であるといえるでしょう。従業員の転勤についてお悩みの会社は、人事労務に強い弁護士にご相談ください。
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