残業代のうちの一定額を固定で支払うという労働条件、いわゆる「固定残業代制度」を導入すると、「同じ仕事でも長時間かけた方が給与がたくさんもらえる。」という不合理な事態を回避することができます。
このようにメリットのある「固定残業代制度」ですが、一方で、適切に運用しなければ、制度自体が無効となり、多額の残業代支払を命じられるおそれがある危険な制度でもあります。
特に、現在「固定残業代制度」を導入していない会社の場合には、この制度を導入することが労働条件の「不利益変更」にあたる結果、労働契約法に定められたルールに従って行わなければ、労働条件の変更が無効とされるリスクがあります。
今回は、「固定残業代制度」を導入するため、会社が労働条件の不利益変更を行う方法を、人事労務を得意とする弁護士が解説します。
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固定残業代制度は「不利益変更」?
「固定残業代制度」をまだ導入していない会社が、「固定残業代制度」を導入するケースを解説します。
「固定残業代制度」を導入する場合、基本給部分(固定残業代を除いた部分)が最低賃金を下回ってはいけません。
そのため、現在の賃金額にもよりますが、固定で支払う給与が、ある程度増額されることも少なくありません。
では、固定で支払う給与が増額されれば「不利益変更」に該当しないのかというと、そうではありません。
実際、残業代を全く支払わずに20万円の給与を支払っていた場合、固定残業代を含んで23万円(固定残業代を差し引くと18万円)というケースでは、「不利益変更」にあたると判断されます。
そして、労働契約法では、原則として、労働条件の不利益変更は、厳しい条件のもとにしか認められていません。特に賃金は、労働者の生活を支える重要な労働条件であることから、より高いハードルが課されています。
不利益変更の方法①「就業規則の変更」
労働条件を不利益変更する場合の1つ目の方法は、就業規則の変更による方法です。
就業規則は、多数の労働者に対して統一的に適用されるような労働条件を定めるのに適しています。
労働条件を変更する場合にも、就業規則を変更することによって、統一的に労働条件を変更することが可能です。
しかし、労働契約法において、就業規則を変更することによって労働条件を不利益に変更するためには、「変更の合理性」がなければならないとされています。
労働契約法10条
使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第12条に該当する場合を除き、この限りでない。
労働契約法の条文からもわかるとおり、「就業規則の変更が合理的であるかどうか。」は、多くの事情を総合的に考慮し、最終的には裁判所で判断してもらうことです。
会社は「合理的である。」と考えて行った就業規則の変更であっても、後日裁判で争われ、無効となるリスクが否定できません。
そのため、実務的には、「労働者の同意」をできる限りとるよう努力することが勧められています。このことは、「固定残業代制度」を導入するときも同様です。
不利益変更の方法②「労働者の同意」
労働条件を不利益変更する場合の2つ目の方法は、「労働者の同意」による方法です。
労働条件の変更は、たとえ不利益であったとしても、「労働者の同意」があれば可能です。
労働契約法でも、次のように定められています。
労働契約法8条
労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる。
したがって、「労働者の同意」を全労働者から取り付けることができるのであれば、「固定残業代制度」を導入することも全く問題なく可能となるわけです。
固定残業代制度を導入する方法
では、以上の不利益変更のルールをもとに、「固定残業代制度」を導入するときの具体的な方法について、順に解説します。
固定残業代の設計
固定残業代制度を導入するにあたっては、事前準備として、「いくらの金額を、何時間分の残業代として支払うか」を考えておく必要があります。これを、固定残業代の設計といいます。
固定残業代制度を導入するときには、多くとも、「45時間分」の残業時間相当分の金額を超えないようにする必要があります。
長時間分の残業代を支払った場合には、その時間だけ残業することを会社が強要しているかのようなイメージを持たれてしまうためです。特に、働き方改革関連法により、残業時間の上限規制が強化された昨今において、長時間労働を蔓延させる会社は、「ブラック企業」との批判を免れません。
また、これまでの基本給に比べて、労働者にとっての不利益が大きくなりすぎないよう、所定労働時間を短縮する、休日を増やすといった配慮が必要となります。
同意書の取得
「労働者の同意」を取得するとき、適切な同意書をとって、客観的な証拠を残しておく必要があります。
というのも、後に裁判などのトラブルとなった場合に、同意を取得した証拠を準備しておく必要があるからです。
労働者側から「固定残業代制度を導入することに同意はしていない。」との反論に対して、同意書が存在することが、重要な証拠となります。
同意書の内容は、きちんと説明をして理解をしたこと、同意をしたことを記載すべきです。
株式会社○○○○
代表取締役○○○○ 殿
1.私は、株式会社○○○○人事部長○○○○より、本日、私が勤務する株式会社○○○○の給与規程が、添付別紙のとおりに改定されたことの説明を受けました。
2.今回の改定により、私に支払われる月額給与○○○○円のうち、○○○○の「○○手当」が、いわゆる残業代(所定労働時間外割増賃金、法定休日労働割増賃金、深夜労働割増賃金)に充当されることを理解し、同意します。
3.上記金額の「○○手当」が、実際の労働時間に基づいて労働基準法等にしたがって計算した金額を下回る場合、その差額は別途残業代として会社から支払を受けることができることについて、理解し、同意します。
説明会の開催
従業員の同意を取得する場合には、裁判例においても、自由な意思に基づく同意でなければならないとされています。
つまり、内容をあまり理解しておらず、ただ同意書にサインをしたもらえた、というだけでは足りないというわけです。
労働者の自由な意思に基づく同意であると裁判でも認めてもらうためには、説明会を開催すべきです。
そして、どのような制度を導入するのか、変更後には実際どの程度の賃金がもらえることになるのかを、具体的に説明しましょう。
説明資料もまた、後に裁判となった場合の重要な証拠となります。
従業員の同意をとりやすくするために!
とはいえ、「全従業員の同意」と簡単に言っても、一筋縄ではいきません。
労働者にとって、固定残業代は、不当に利用され、残業代の支払を減らされるリスクのある制度であって、同意することには不安が付きまとうからです。
そこで、会社としては、「固定残業代制度」を導入する際、従業員の同意を取りやすくするためにも、次のポイントに注意して進めるようにしましょう。
ポイントを理解せずに雑な進め方をすれば、「ブラック企業」とのレッテルを免れません。
わかりやすく説明する
従業員は、会社以上に、労働法の知識がないと考えてください。
そのため、労働法の知識がないことを前提に説明をしなければいけませんから、労働法や裁判例でどのような説明がされているのか?といった説明よりも、より重要なことがあります。
それは、「実際にどれだけ働いた場合に、どれだけの給与がもらえることとなるのか。」ということです。
労働者の目線に立って考えれば、実際の労働時間と給与の金額が最重要の関心事であることは、簡単に理解していただけるのではないでしょうか。
少なくとも、次の点について、従業員に示す書類(雇用契約書、就業規則、給与明細など)によって理解できるよう、わかりやすく説明することが求められます。
- 1日の所定労働時間
- 1日の時間外労働時間
- 1か月の時間外労働時間
- 固定残業代が充当される時間外労働時間
- 追加で支給される残業代
実際にエクセルでシミュレーションの計算式を作ったり、グラフなどを活用したりしながら、わかりやすく説明するのがオススメです。
基本給部分をある程度確保する
「固定残業代制度」を導入する場合に、「固定残業代」を差引いた基本給部分が、最低賃金を下回ることが許されないのは当然です。
仮に最低賃金を下回るほどの低賃金ではなかったとしても、あまりにも基本給が少なく、「固定残業代」が多額である場合には、従業員も不安にならざるを得ないでしょう。
このような決め方をすれば、あまりにも長時間分の固定残業代を付けることとなりますから、「こんなに労働させられるのか。」という別の不安も生じます。
したがって、固定残業代を導入する場合であっても、「基本給よりも固定残業代の金額の方が大きい。」などという賃金体系は避けるべきです。
差額を支払うことを明示する
「固定残業代制度」を導入している企業に最も多い勘違いが、「固定残業代であれば、それ以外に残業代を支払う必要はない!」というものです。
そして、これが明確に誤りであることは、多くの判例・裁判例からも明らかです。
しかし、まだまだこの勘違いを実際に労働者に強要している会社は少なくありません。
そのため、固定残業代制度を導入する際に、自社はそのような間違いを行わないこと、すなわち、労働基準法にしたがって計算した残業代の金額との間で差額が生じる場合、適切に支払うことを約束しておくべきです。
労働基準法にしたがった適法な「固定残業代制度」であることをきちんと説明することが、労働者の同意を取り付けやすくします。
「人事労務」は、弁護士にお任せください!
今回は、まだ「固定残業代制度」を導入していない会社が、「固定残業代制度」を導入するための具体的な方法について解説しました。
「固定残業代制度」は、労働条件の不利益変更にあたりますから、労働契約法のルールに従って適切に進めなければ、事後的なトラブルによって無効と判断されるおそれもあります。
「固定残業代制度」は、ブラック企業の代名詞のように語られることもありますが、決して制度自体が違法なわけではありません。適切な運用によって、「固定残業代制度」を労働者に理解してもらい、納得の上で運用しましょう。
「固定残業代制度」のリスクを減らすためにも、制度設計には、人事労務に詳しい弁護士に関与してもらうことをお勧めします。
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