「M&A(企業買収)のデューデリジェンス」というと、買主側の問題であるケースがほとんどです。
弁護士が関与する場合にも、買主側から依頼を受け、買主側の費用でデューデリジェンスを行うことがほとんどです。
というのも、デューデリジェンスは、M&A対象会社に問題がないかどうかチェックする行為で、その目的は、「M&A対象会社に問題点があった場合に、事前に回避したり、買収価額に反映したりする。」という、●買主側本意の目的によるものだからです。
一方で、売主側であっても、弁護士が全く不要というわけではありません。
売主に有利な法解釈の説明のため、経営者インタビューの円滑な遂行のためなど、目的は限定されますが、顧問弁護士が関与するケースもあります。
これを越えて、売主側でもデューデリジェンス(Seller'sデューデリジェンス)を実行するケースもあり得ます。なお、売主が対象会社の100%株主でないなど、完全にコントロール下にない場合、更に慎重な配慮が必要です。
今回は、M&A(企業買収)の売主側、対象会社の注意すべきポイントを、企業法務を得意とする弁護士が解説します。
1. M&Aへの売主の協力には限界あり
売主側として買主のデューデリジェンスに対応する場合には、その協力に限界があることを理解し、適切な対応を行う必要があります。
売主側としては、買主のデューデリジェンスに対する対応方法に迷う場合こそ、まさに、「売主側であっても弁護士を関与させるべきケース」の典型例といえるでしょう。
M&Aを進めているわけですから、できれば友好的にクロージングまで進むことが最善であり、これを目的に売主候補、買主候補が話し合いを行うわけです。
しかし、売主の立場とすると、友好的にクロージングまで進めたいという考えはありつつも、やはり、M&Aデューデリジェンスへの協力には一定の限界があります。
1.1. M&Aを社外・社内に周知できないケース
売主側の立場でM&Aを行う場合、通常は、「ある程度段階が進むまでは、M&Aの事実を隠したい。」と考えるのが一般的です。
というのも、買主側がデューデリジェンスを行った結果、決定的な問題点が発見され、M&A取引自体が中止に終わるおそれも一定程度あるためです。
また、M&A(企業買収)の事実が公開され、対外的には、重要な取引先、仕入先などの信頼を失った結果、取引停止に追い込まれるおそれもあります。
加えて、対内的には、事業の核となる従業員の離職を防ぐといった目的から、内部への公開すら制限したいケースが多いといえます。
以上の売主側のニーズを叶えるためには、M&Aの事実を公開するのは、対外的にも対内的にも、できる限りクロージングに近い時期にしたいと考えます。
そのため、資料を収集したり、インタビューを行う際にも、従業員にM&Aの事実を知られないようにするという制限があることから、買主の行うデューデリジェンスに一定の制約を課せざるを得ないのです。
実務的には、M&Aのデューデリジェンスであるということは知らせずに、「コンプライアンス体制の調査」、「社員の意識調査」など、様々な他の名目を使って調査を進めることとなります。
1.2. 通常業務に支障が生じるケース
M&A(企業買収)のデューデリジェンスにおいて買主側が興味関心のある資料は、対象会社において、事業のために必要な重要資料であることがほとんどです。
事業に必要な資料を、デューデリジェンスの目的とはいえすべて持っていかれてしまうと、対象会社の事業に大きな支障が生じることとなります。
そのため、対象会社の通常業務を円滑に遂行するためにも、買主側のデューデリジェンスに一定の制約を課せざるを得ません。
買主側としても、買収後は自身の会社となることから、対象会社の事業がうまくいかなくなることを望むものではないでしょう。
実務的には、次のような方法で、対象会社の事業への支障をできる限り小さくする努力をします。
- デューデリジェンス期間を制限する方法
- 資料をデータで提供してデューデリジェンスする方法
- オンサイドデューデリジェンス(対象会社に出向き、時期を制限してデューデリジェンスを行う方法)
M&Aデューデリジェンスの開始前に、適切なデューデリジェンスの方法と、対象資料の範囲を話し合っておくべきです。
1.3. 売主と対象会社の意向が異なるケース
売主と対象会社の意向が異なり、買主のデューデリジェンスへの協力の程度が異なることもあります。
特に、売主が対象会社の100%株主ではなく、売主が対象会社をコントロールしきれていないケースでは、売主、対象会社の異なる意向にそれぞれ配慮しなければなりません。
売主としては、後に解説する「表明保証」の対象となり、表明保証違反の責任を追及されるおそれがあることから、できる限り広い範囲の資料を開示しようとするものです。
これに対し、対象会社としては、開示すべきでないと判断する資料は、できる限り開示を拒絶したいと考えるでしょう。
いずれの場合であっても、適切な表明保証文言への修正と、売主・対象会社間の綿密な調整が必須となります。
2. 売主が資料開示に協力すべき?
原則として、買主によるデューデリジェンスを円滑に進めるためにも、売主側は、できる限り、買主の要求する資料開示に協力すべきといえます。
しかし、売主側の立場でM&Aに関与するのであれば、例えば次のようなケースで、必ずしもすべての資料を開示してよいかは柔軟な対応が求められます。
- 契約上の秘密保持義務を負っている場合
- 法令上の制限がある場合
ここでは、契約上の秘密保持義務を負う場合として、第三者との間で秘密保持義務を負う契約を締結しているケース、法令上の制限がある場合として、個人情報保護法によって守られる個人情報のケースについて解説します。
2.1. 第三者との間で秘密保持義務を負っている資料
第三者との間で秘密保持義務を負っている資料について、資料を開示するかどうかは、次の順序で検討し、実務的には、最終的には開示するケースが多いといえます。
2.1.1. 秘密保持義務の明示の例外に該当しないか
第三者との間で締結した秘密保持契約の記載内容を確認してください。
M&Aなどの組織再編を検討する場合の情報提供については、秘密保持義務の例外であるとして明示的に規定されている場合には、そもそも秘密保持義務を負わず、買主への資料開示に支障はありません。
2.1.2. 秘密保持義務の黙示の例外に該当しないか
秘密保持契約書に、明示の例外として記載されていなかったとしても、黙示的に秘密保持義務の例外となると解釈する余地がないかどうかを検討してください。
この解釈は、開示の必要性、契約相手に与える損害の大きさなどによって、ケースバイケースの判断となります。
2.1.3. 買主に秘密保持義務を負わせることで対応できないか
実務的には、上記明示・黙示の例外に該当しないと考えても、買主に対して同等の秘密保持義務を負わせることによって、当該資料をデューデリジェンスのために開示するという対応が考えられます。
買主も同等の守秘義務を負うのであれば、実際には外部に漏洩する可能性は小さく、現実に問題となる可能性が少ないためです。
この場合には、デューデリジェンスの目的を達成した後には、買主がその資料を破棄、返還するといった、終了後の処理についても規定しておきます。
なお、「同等の秘密保持義務を負う相手方への開示」は、そもそも既に解説した、秘密保持義務の黙示の例外に該当すると解釈する余地もあります。
2.1.4. 開示が適切ではないケース
以上の開示をする方法を検討したとしても、やはり買主への開示が適切ではなく、秘密保持義務がトラブルの火種となりかねないケースが存在します。
例えば、秘密保持契約の相手方が、買主の競業他社であって、そのノウハウなどが詳細に記載されている資料を開示するといった場合です。
2.2. 個人情報として保護される資料
個人情報保護法においては、原則として、個人情報取扱事業者は、個人データを第三者に対して提供してはならず、提供する場合には、本人の同意が必要とされています。
個人情報保護法によって第三者提供できない個人データについて、資料を開示するかどうかは、次の順序で検討してください。
2.2.1. 「個人データ」に該当しないと解釈できないか
個人情報保護法においては、「個人情報」について、次のように定義されています。
個人情報保護法2条1項生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)。
そして、個人情報をデータベース化したものを、「個人データ」といいます。
そもそも、買主のデューデリジェンスのために売主が開示する資料が、個人データに該当しないと解釈できるのであれば、個人情報保護法による第三者提供の規制は問題となりません。
2.2.2. 黙示の承諾があると解釈できないか
仮に個人データに該当する資料であったとしても、あらかじめ同等の秘密保持義務を負わせておくなどの場合には、黙示の承諾があったものと解釈できる余地があります。
買主に秘密保持義務を負わせることで対応できないか
既に解説した契約上の秘密保持義務を負う資料と同様に、現実には問題になりにくい状態を作った上で事実上開示するという実務的対応を検討しましょう。
買主に対しても、売主と同等の秘密保持義務を負わせた上で開示するのであれば、事実上、個人情報保護法違反が問題となる可能性は少ないといえます。
2.2.3. デューデリジェンスを事務委託していると解釈できないか
個人情報保護法23条4項1号にいう、一種の事務委託としてデューデリジェンスを行わせていると考える余地がないかを検討します。
事務委託なのであれば、「委託者に対する提供」として例外に該当するためです。
3. 売主による情報開示と表明保証の関係
M&Aの契約書においては、売主が買主に対して「表明保証」を行います。
表明保証とは、一定の事実や状態が真実かつ正確であることを、売主が買主に対して、表明し、保証するものですが、次のような内容を含むことが一般的です。
- 売主が開示した資料が、重要な点において真実かつ正確であること
- 売主が開示した情報に虚偽がないこと
- 売主が開示した資料に欠落がないこと
- 買主に誤解を生じさせるような情報提供がされていないこと
このうち、資料に関する「表明保証」をするにあたって、既に解説したような契約上・法令上の秘密保持義務との関係上、一定の資料を開示していなかった場合にどのように考えるべきかは非常に難しい問題です。
実務的には、できる限りの資料を開示した上で、その範囲の表明保証となるよう、売主側は、表明保証文言の修正を交渉すべきです。
4. Seller'sデューデリジェンスの必要性
売主が表明保証を行う場合に、完全にその責任を、自信を持って負うためには、売主側としても対象会社の精査を行うことが必要となってくるケースも少なくありません。
ただし、売主の表明保証違反となる可能性と、売主側のデューデリジェンス(Seller'sデューデリジェンス)を行うための費用とのバランスによって、行うかどうかを判断すべきで、実際には行われるケースは少ないといえます。
今後、表明保証違反の売主に対する責任追及訴訟が活発化すれば、Seller'sデューデリジェンスを行うことが一般化することもあり得ます。
5. まとめ
M&Aデューデリジェンスといえば、買主側だけの問題ととらえがちですが、M&Aの売主、対象会社となる場合であっても、弁護士の関与によって、M&Aを円滑に進めることが可能です。
事案によっては、Seller'sデューデリジェンスを行うなど、リスク回避のために、弁護士を積極的に活用してください。